ガラスの仮面

K-Text2005-05-11

ガラスの仮面と言えば熱血演劇少女漫画という新しいジャンルを作って他の追随を許さない名作です。
 つか私は半年前位にやっと読んだのですが、第一巻で主人公の北島マヤがラーメン屋の娘から演劇のチケットをもらう為に120件の出前をさばいたり(120件て・・・)、娘が落としたチケットを取るために冬の海に飛び込んだりとんでも漫画具合に脳がとろけそうでした。


 その後、演劇に憧れていたマヤは実際演劇を始めます。月影先生とマヤの変態演劇特訓が見物で、「若草物語」のベスになりきるために学校に行かずに1週間中、家の中で引篭もって編み物したり、猫と戯れたりします。若草物語にはベスが猩紅熱にかかって重態になるというシーンがあるのですが瀕死の病人の気持ちが分からないマヤの自主練習はなかなかすさまじく、雨に打たれて実際に病気になるという物でした。
「もう少し・・・、もう少しよ・・・。ああ・・・分かりかけてきたわ。だんだんと・・・」
と恍惚の表情で言うマヤは脳から離れてくれません。


その後、演劇の天才、姫川亜弓と激しい演劇バトルへと発展していくのですが、ガラスの仮面の見所はオドロオドロしさだと思うのです。マヤもライバルの亜弓もやりすぎなのです。人形の演劇するときは瞬きしなかったり、恋愛が分からないからって共演者ととっかえひっかえ付き合ったり、熱血ときちがいの狭間を突き進む感じ、つかむしろきちがいって感じのガラスの仮面がいいのです。


で、そんなガラスの仮面が最近アニメ化されました。あまりに古い作品なのでキャラのデザインが現代の感覚では視聴に耐えないのか、ライバルの姫川亜弓とかマヤの初盤の恋人役の桜小路とかの姿が変更されてます。何かお上品なんです。そこはかとなくエレガントな空気が伝わってきます・・。これじゃあ姫川亜弓がリアル乞食になったりする空気感が表現できないんじゃないか?とか思いました。いや、それだけじゃない。一体、原作と何が違うのだろう?


今回、ちょうど若草物語のベスの役になりきるために家に引篭もる回でした。
で、原作(2巻)と比べて見たら、唖然。指導員の頭のハゲた鳥のような顔の先生が渋い中年になっていました。いや、むしろ原作は一体何を考えて夢と愛のあふれる少女マンガ雑誌にこんなキャラを登場させたのか、理解に苦しみます。やばいやばい、原作のこの落書きのような先生がめっちゃ気になってきた。何か同じシーンでもこの先生が言う台詞には笑いを禁じえません。やばい、目が離せなくなってきた。マヤよりこの先生ヤバイ!ハゲた頭の中心に残ったゴミのようなチヂレ毛とか、危ない!!すっごい抜きたい!原作はまだこんな爆弾キャラを隠し持っていたとは・・。

 むしろ、アニメで変更された部分を原作で見て楽しむ。これがガラスの仮面の新アニメ版の楽しみかもしれないと思いつつ・・・。で、じっくり見ると・・・アニメ版はソツ無く丁寧にアレンジしてます。さり気に原作で放りっぱなしの様ないらないエピソードにキャラの心情描写を追加して意味のあるエピソードに仕上げたり、見れば見るほどアニメ、よく作ってるなぁ・・。隙が無いよ。


でも、ちょっと地味なのです。例えば同じ劇団のメンバーさやかはマヤのベス役を狙うのですが、原作では脚本のベスの台詞に赤線を引いて覚えるというかなりダークなエピソードがありますがそこは無くなっていました。まぁ、あざと過ぎる演出かなぁというのはあるのですが、後にベスの座を争う場面で重さが違ってきます。



一発屋のような原作、緻密に丁寧な構成のアニメというところでしょうか。で、結局ですが、アニメは頑張ってるんだけど、ちょっと頑張り方違うかな?と。



で、私が見てみたいアニメ版「ガラスの仮面」について、最後に一言。

今川泰宏監督版「ガラスの仮面